ここからが幸=ココサチ

機能不全家族で育った私の回顧録

毒親=母=機能不全家族

おはようございます 睦月です

 

炬燵布団干せました。毛布も干せた。

寒暖差が激しくて鼻水がとまりません

不調気味になりますね 皆さんお気をつださい

 

今日もよろしくお願いします

 

機能不全家族毒親=母

 

父の借金がわかって父の実家に世話になる事になりました

 

嫁姑の関係は悪く、家が別だったのは不幸中の幸いでしょうか。
キッチンとお風呂とトイレがなかったので(トイレは外・キッチン・お風呂は祖父母宅を借りる)
トイレは家を出て20mほど歩いた所にありました(ボットン)
夜真っ暗な中一人で行くのは恐かった
家の中にできた時母は嬉しそうだった

 

兄姉はその町唯一の小学校に転校
私は何故か隣の地区にある保育園に歩いて通っていました
住んでいる地区内に保育園がありましたが

 

そこは定員オーバーで入れなかった

 

と、母に説明されました。

 

あとで嘘だとわかります

 

その嘘のおかげで、小さい山を超える道のりでした。
ラブホテルの前を横切り田んぼのあぜ道を歩き、住宅地を抜け登園していました。
片道40分かけて歩きました
土曜日だけはお迎えの日
母は原付にしか乗れなかったので、土曜日は原付に乗って迎えに来てくれました。
当時は法律緩かった(´∀`) 荷台に乗せられ二人乗りで帰りました

 

小学校に上がると姉と一緒にスイミングに通わされます
当時の習い事は大体スパルタ
25mを10往復クロールで 等
プールサイドで吐きそうになりながら、溺れそうになりながら嫌々通っていました。

 

通っている理由も強い体を作る為 などではなかった

 

口では常に子供のためでしたが

水回りがそろった時嬉しそうだったのは姑に合わなくて済むようになったから
保育園を遠くにしたのは、車もバイクも運転できない姑が迎えに行けない様に。
スイミングスクールは姑の仕事が休みの曜日に通わせ、姑に会わせないようするため。

 

わからなくはない 祖母は厳しい人だったし
嫌味な言い方するし、私自身嫌いな所もありました。

関わらせたくないと思うのは親心
ただそれで子供に辛い思いはさせないで欲しかった

祖母は礼儀に厳しい人でした。
兄は男の子であることからしょうがないとされ、私はまだ幼いからとお咎めを受けずにすみましたが、姉は長女なんだからしっかりしなさいと叱られていました。
そして私は八つ当たりされていた

金切声で怒鳴られ、理不尽な言葉を浴びせられ、言われるがままにしないとまた怒られた。
兄には言えないから抵抗できない私にイライラをぶつける
この頃から状態化していた

 

母は姉の気持ちもわかってか止めてはくれませんでしたので

止めるときは”睦月も悪い”って言い方で喧嘩両成敗でした

100:0の力量差でもそれでしたね

 

大人になってから聞いた話ですが

『だってお姉ちゃん可哀そうだったもんね』

 

 

 

じゃあ私は??(’Д` )

 

 

誰も毒親になりたくてなったわけじゃないんだろうけど
途中で気づけたらいいね